#6 ペットショップで泣いたわけ
私には3人の子供がいる。もともと3人子供を持つことへの憧れがあり、すったもんだはあったが3児の母になるという希望が叶ったのは私の人生において幸運であった。
子供を産んで感じるようになったのは、赤ちゃんの驚くべき可愛さである。よく「子供は3才までに一生分の親孝行をする」という言い方をするが、赤ちゃんから3才くらいまでの小さい人間達は、まあ頷けてしまうくらい爆発的に可愛くできているのである。
我が家の1番下の娘は今9ヶ月であり、ちょうど今この時期にあたる。まあ可愛い。気が遠くなるほど可愛い。脳のどこかに直に訴えかけてくる、抗えない中毒性がある可愛さ。
中毒レベルでいうと、砂糖小麦から始まり、酒タバコがきてその上に赤ちゃんだ。
このように毎日バカになって赤ちゃん様に仕えている私だが、最近妙な経験をした。ちょっとした用で寄ったホームセンターで、ふと足を止めたペットショップ。
ケージの中で走り回る小さい子犬をみたとき、私は突然感情の波に襲われ、泣いた。愛らしい子犬の姿から、私は唐突に、もうすぐ赤ちゃんを失うことに気づいてしまったから。
キャンキャンと走り回る子犬と、今の胸の前に抱き抱えている娘の動物的な可愛さが重なる。
だんだん大きくなってくると、親に気を使ったりして、こんなにピュアな表情じゃなくなるんだよな。祖母は赤ちゃんを見ると「神様だね」とよく言っていた。その言葉に相応しく人間であって人間でないような、半分神様みたいな混じりっ気のない表情。これを見られるのはあと何ヶ月?いや何日?
カウントダウンはとうの前に始まっていた。止めようのない時間の流れのなかで、きらりきらりと反射する記憶。
エコーで初めて聞いた心音の力強さ。壮絶な陣痛の果てに響いた産声。痛む身体を引きずって歩いた夜中の病棟の静寂。耳なんか澄まさなくてもありありとよみがえる。
こぼしたミルク、洗いたての産着、小さすぎて不安になる寝息。抱っこしながら嗅いだふわふわで細い髪。全てが罪なほどの甘い香り。
どれもこれもリアルなのに、猛烈な勢いで私の中を過ぎ去っていく。
ぐにゃぐにゃだった首がすわり、ゴクゴクとハイパワーで母乳を飲み、気付いたら脂肪がついてぷりぷりになった身体で寝返りを打つ。
米粒みたいな歯を覗かせてケタケタ笑い、グラグラにスイングしながら立ち、じき初めの一歩を踏み出してヨチヨチ歩きだす。
ちょっと待ったって。
私はまだ失いたくないのに。
まだ忘れたくないものが沢山あるのに。
じっとり汗ばんだ手、さんざんつっついた丸いほっぺた、後ろ姿のコロンとしたフォルム。
シャボン玉みたいな声で喋る宇宙語。
小春日和に散歩した時の圧倒的な幸福感。
たぶん世の母親は、こんな記憶を後生大事に胸に抱えてる。
挙げればきりがないけど、きっといくつももう忘れている。
かわいいかわいい私の赤ちゃんは、間もなくいなくなる。
ペットでも飼おうかなぁと言ったら、夫は「大変だね」と笑った。